丸山城 岡山県賀陽郡吉備中央町吉川古茂田 

標高350m 比髙5m 

主な遺構:堀切・土塁 

アクセス

 吉備少年自然の家入り口交差点から西へ1kmほど進むと十字路が現れる。右折して県道307号へ入る。県道を北へ1kmほど進んだあたり、道路脇に丸山城の案内板がある。ここを左に上っていくと空堀に囲まれた城跡が現れる。

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 丸山城は虎倉合戦(「加茂崩れ」とも)の舞台となった清常城(2021年11月3日付ブログ)から西へ5kmほどの地点にある。上の地図でみれば城の周囲は一面の水田で平坦地のようだが、東西に延びる低丘陵があって、浅い堀を巡らした城がその上にちょこんと乗っかっている。

 城は周囲を囲む水田からの高さが5m、丘頂の曲輪は地形に制約されて歪んだ楕円形をなす。その規模は長径50m、短径40mほど。南面に登城路があり、西側の堀切面から北辺にかけて高さ1~2mの土塁が残る。曲輪は耕地として利用されていたから後世の改変を受けているかもしれない。

 西に延びる丘陵を遮断する堀は幅15mほど。堀底も水田となっている。東側は浅い谷になっているが、東堀・西堀の地名を残すから、東側にも堀が巡っていたのかもしれない。城の北は高さ10mを越える急斜面となって、山裾を洗う小川に落ちこんでいる。付近には領主の手作田であるツク田(佃)・馬場があったと伝えるから、この城は日常生活が営まれた居館と見られる。 

 『賀陽町史』によれば天文・永禄の頃、虎倉城主の弟伊賀出雲守久治が居城。出雲守が田土の大原城に移った後、その子刑部が吉川姓を名乗ってこの城に止まり、吉川新右衞門とつづいて居城したという。

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丸山城(南側から撮影)

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西側の堀

参考文献

 賀陽町教育委員会『賀陽町史』  1972年