蕨尾陣・松端陣 岡山市北区建部町三明寺

蕨尾陣:標高310m 比高210m 

松端陣:標高340m 比髙240m

主な遺構:土塁

アクセス

 福渡から旭川に沿って国道53号、次いで県道30号を進む。旭川第二ダムの手前で下籾方面に向かう県道456号が分かれる。急坂を登り切ると三明寺集落だ。三明寺公民館前を過ぎて約1km、標高364mの山を反時計回りに周回する狭い林道が分かれる。この道に入り、二つ目の尾根を横切るところに蕨尾陣、峡谷を見下ろす西側に回り込んだ所に松端陣がある

      

       

   

 蕨尾陣・松端陣は天正8年(1580)、竹内氏ら毛利方勢力の立て籠もる鶴田城・高城攻撃のため、宇喜多方の築いた陣城で、蕨尾陣には宇喜多の武将明石飛騨守が在陣したという(作陽誌)。

 二つの陣城は深く切れこんだ角石谷の峡谷を挟んで鶴田城・高城と向かい合う位置にある。高城・鶴田城の背後の高原上には竹内氏が拠点とした和田南・角石畝の集落が広がっており、蕨尾・松端の両陣はこれらを一望の下に見渡せる、申し分の無い位置を占める。

 戦いの中では竹内方からの反撃も行われたようで、この年3月17日、杉山又三郎が明石飛騨守の陣所に夜討ちを掛け、小早川隆景から感状を与えられている(『美作古簡集註解』)。

 

 蕨尾陣は緩斜面の広がる尾根に築いた土塁囲みの陣城である。その形は南東及び北西隅が入り隅となった四辺形で、長辺45m、短辺25mの規模。西辺に見られる土塁切れ目が虎口らしい。人の背丈ほどの土塁に囲まれた曲輪内部は北に向けて緩やかに傾斜しており、明瞭な削平の跡は確認できない。

 松端陣は松ヶ鼻と呼ぶ尾根上に残された土塁囲みの陣跡。塁線に折を設けるなど、蕨尾陣と瓜二つの縄張りであったようだが、土塁の一部を残して大部分が破壊されている。

 この二つの陣には異なる役割があったようで、『作陽誌』は蕨尾は高城攻めの、松端は鶴田城攻めの陣所だという。そのように伝わるのは蕨尾陣からは鶴田城が見通せないことからくるのかもしれない。

 なお、松端陣の南側山頂一帯には城郭遺構は確認できなかった。「おかやま全県統合型GIS」でも、松端山の位置を三角点のある山頂北側のピークに示すが、「山頂部は広い平坦面。南斜面は畑地開墾による段状地形が見られる」と記されるだけだ。

 

参考文献

 小川博毅『美作垪和郷戦乱記』 吉備人出版 2002年

 『新訂作陽誌』 作陽新報社 1975年

 建部町『建部町史』地区誌・史料編 1991年

 webサイト「おかやま全県統合型GIS