これでも城!?(1)「平城」  広島県三次市三和町敷名

別名 比良城

標高430m 比高50m

アクセス

 安芸高田市高田原から三和町の老人ホーム喜楽園を目指して進む。県道63号脇に喜楽園の指示板を見つけたらここを左折し、100mほど先の十字路を右折して総合運動公園に向かう。大きなカーブ3つめの先、左に分かれる山道が見える。

        

平城

 六郎山城の東方丘陵中に平城という城が残されている。

 江戸期の地誌『芸藩通志』巻108には

「高井地城・平城・茶臼城・比丘尼城、並に同村(敷名村)にあり」

さらに同書の敷名村絵図にもこれらの城名が記載されているから、城跡だと伝えられてきたのは間違いないのだが、現地に立ってみればあっけに取られてしまう、そんな遺構が残されていた。

 平城は単郭の城で、ほぼ平坦な丘頂緩斜面を東西90m南北60mの範囲にわたって土塁・空堀で 囲い込んだものだ。南辺に空堀の切れ目2カ所があって、これが虎口なのだろうか。

 空堀とは言ってもその堀幅は1mほど。土塁も高さは0.2m前後。防御施設と呼べるような障害ではなく、城の内外を示す境界・目印にすぎないから、空堀に沿って柵などの防御物を巡らす必要があったはずだ。

 

 平城を訪ねたらついでに高井地城も訪ねたい。平城から東へ、尾根伝いに進めばわずか300mほどの地点にある。この城も人里から離れた山中に築かれているが、こちらはしっかりした普請の城となっている。

 東西に伸びるなだらかな稜線上の小ピークに築かれた単郭の城で、東西40m南北20mほどの規模。尾根続きの東西両端は定石通り堀切で遮断している。曲輪は北辺の一部を除いて土塁に囲まれ、周囲は人の背丈ほどの切岸となる。南東隅及び南辺に見える土塁切れ目が虎口らしい。

 高井地城について、『敷名志』は 

 「猟師岩山ノ北ニ在リ、山勢高ク秀ヅ、一村中最第一ノ高山ナリ、城主伝ヘズ、城塁方ニ存ス。疑フラクハ古寺ノ跡也、地寺ノ文字誤ル者也ランカ」

と、寺跡の可能性を指摘している。

      

 参考文献

 芸藩通志刊行会『芸藩通志』 1973年

 双三郡町誌編纂委員会『三和町誌』  1994年

 敷名史談会『註解 敷名志』  1985年