宮島 七浦巡り

 たまたま厳島神社のHPを見たら、「安芸の宮島まわれば七里、浦は七浦七恵比寿」という里唄があって、宮島の海岸線に多数ある神社のうち、七つの浦に祀られている神社を「七浦神社」というのだそうだ。

 七浦巡りは、厳島神社のご祭神が島を一周して自らの鎮座の地を探したことに由来すると言い伝えられ、七浦神社を巡る神事「七浦巡り」(「御島巡り」)が毎年3月・9月・5月15日に行われている。神事としての七浦巡りは船で海上から、あるいは上陸して祝詞奏上などを行うもので、一般の人は参加できないらしい。 

 宮島の海岸線の長さは、里唄のいう七里より少し長く30kmほど。国土地理院の地形図で見ると、島の南寄りには車道はおろか、破線で示される徒歩道すら無い区間が8kmもある。宮島を一周した人の記録をネットで調べると、踏み跡程度の道があるそうで、干潮の時間には磯や干潟をあるいていた。

 5月3日、海岸線を歩いて七浦神社に参拝する「七浦巡り」に出掛けた。

 宮島桟橋に7時15分到着。さすがゴールデンウィークの最中とあって、この時間すでにフェリーの中は人であふれていた。しかし桟橋から歩き始めるとすぐに観光客の姿はなくなり、地元の人と鹿を見かけるだけに。

一番目 杉之浦神社

 

 七浦神社の一番目、杉之浦神社に参拝してしばらく進むと、厳島合戦で毛利軍が上陸した地とされる包ヶ浦がある。海岸に広がる包ヶ浦キャンプ場には行楽客・キャンパーの姿が。

 

 包ヶ浦の先は尾根越えの道。やがて鷹ノ巣浦を遙か下に見下ろす高巻きの道となる。ここは日露戦争に際して、広島湾要塞を守るため、鷹ノ巣山山頂付近と海岸に砲台が設置されたという。下写真は車道脇に見えたもので、これも鷹ノ巣砲台の一部だろうか。

車道脇にはレンガ造りの施設が(砲台跡?)

探照灯跡」車道脇の岩山をくり抜いて造られていた

鷹ノ巣浦の東方には砂州で繋がった双子島が見える。かつて海水浴場があった絵の島だ。

 

 包ヶ浦の先は砂浜が少なくなり、車道は海岸の急崖上につけられた道となる。たまに現れる砂浜に下りると神社が祀ってあるという具合。

二番目の鷹ノ巣浦神社は鷹ノ巣浦に鎮座していたのだが、砲台建設によって入浜に移されている。

三番目 腰少浦神社、砂浜には釣人が。

四番目 青海苔神社、

養父崎神社(七浦神社に含まれない)    
養父崎神社の先の五番目山白浜神社は、GPSログでみるとすぐ目の前にあるはずなのに巡り会えなかった。

 

 宮島桟橋から時計回りに青海苔浦までは車道があるのだが(ただし車が進入できるのは腰少浦神社まで)、その先は地形図にも徒歩道の記載がない踏み跡の道を歩くか、磯を歩くかの二択。

青海苔神社から山に入ってみたら、絶壁の上に意外にしっかりした道の形が。

 

 歩いた5月3日は昼前が満潮となっていて、磯歩きをあきらめ山道へ。意外に踏みならした道だと思ったのもつかの間、次第にわかりにくくなり、えいや!と磯歩きへ。

 波打ち際の岩をよじ登ったり飛び移ったり、水中を歩いたり。なかなか楽しいのだが、岩に張り付いたフジツボや牡蠣に触れたらしく、いつの間にやら腕も足も血だらけ。

ここから磯歩き。

山道に設置してあった指示板

 それでまた山道へ。山道には要所に指示板が設置してあったのだが、肝心の踏み跡がはっきりしないので右往左往。

 宮島南端の革篭崎からは再び海岸歩き。ただ、本土側に向いた西海岸側はしだいに砂地の海岸に替わってきたから、ほっと一息。

 歩ける限り干潟を歩いて宮島桟橋へ。到着は7時23分。長い一日となった。

 

宮島の南端革篭崎。奥には大竹・岩国のコンビナートが見える

六番目 須屋浦神社

七番目 御床神社

厳島神社の大鳥居は工事中。干潮時で鳥居の周りは干上っていた

 この日の歩行ルート(ヤマレコ「宮島一周浦巡り」より)