向城 広島県神石郡神石高原町光信・上

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 たまたま図書館で手にした神石高原町三和地区の郷土誌『志麻利夜話』の中に、向城に関する記事が載っており、これが二重の空堀に囲まれた城だという。広島県下で丘頂部を空堀で囲むタイプの城はわずか10例ほど。そのうち3例が神石高原町に集中することもあり、興味をそそられて出掛けた。

 この城は『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』に載らず、江戸期の地誌類にも載っていない城だ。おそらくごく限られた地元地域でしか伝承されてこなかったということらしい。

 比髙40mの低丘陵上に構えた城で、丘頂部の曲輪は長径30m短径20mほど。志麻利夜話の観察通り曲輪は二重の横堀に囲まれるが、帯曲輪状を呈する部分もある。丘頂の曲輪は削平の痕跡が明瞭でなく、自然の緩斜面を未加工のまま横堀で囲い込んだもののように見える。従って明瞭な遺構は二重の横堀だけであり、ごく臨時的な城塞と思われる。

 志麻利夜話では、向城の北1kmに馬屋原氏の居城有井城があることから、その出城であろうとしている。

 なお、丘頂部を空堀で囲むタイプの城としたものには、下図栗原城のように、尾根を遮断する堀切の両端が水平方向に延びて山腹を巡る帯曲輪に繋がるものを含めている。

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原城 東広島市豊栄町 (『広島の中世城館を歩く』より)

参考文献

 さんわ郷土史研究会『志麻利夜話』  2011年

  広島県教育委員会広島県中世城館遺跡総合調査報告書』第4集 1996年

 表 邦男『広島の中世城館を歩く』渓水社 2021年  

天満宮城(仮称) 岡山県高梁市松原町松岡

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 『高梁市史』の馬之城まんじょうに関する記述の中で、「西野々天満宮」が馬ノ城とほぼ同様な環濠型構造を持つことを指摘している。ひょっとして城址だろうかと興味を持ち、馬之城のついでに立ち寄ってみた。

 場所は松原町松岡の西野々で、馬之城の東方500mほど。かぐら楽街道に面した磐裂神社後方の丘にその天満宮がある。この時作成したものが上図であり、指摘の通り天満宮の周囲には土塁・空堀が巡らされていた。

 現在神社への車道が取り付けられて外側の空堀が一部破壊されているが、丘頂部を土塁・空堀で囲繞した、いかにも陣城を思わせる構造を見せる。規模は東西80m南北70mほど。神社の鎮座する「主郭」内部の削平はわずかで周縁部には緩やかな斜面が残り、北辺には横矢を意図したものと思われる塁線の折が認められる。

 文化庁の『全国遺跡地図』や「おかやま全県統合型GIS」、さらに近年の『岡山県中世城館遺跡総合調査報告書』にも載らないのだが、このような遺構から城址と考え、仮に「天満宮城」と呼んでおく。

 天満宮の遺構に関する伝承が地元に残されていればいいのだが、とりあえず発達した縄張りを見せることから戦国期の陣城と見ておきたい。

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天満宮が鎮座する「主郭」。

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「主郭」を巡る空堀

参考文献

 高梁市史編纂委員会『高梁市史』1979年

 文化庁文化財保護部 『全国遺跡地図』岡山県 1985年

 「おかやま全県統合型GIS

 岡山県文化財保護協会『岡山県中世城館遺跡総合調査報告書』備中編 2020年